2007年10月28日日曜日

デボラ・シニバルディ

 D4Jeansのデザイナーである。
 彼女はセリーヌのニットデザイナーとして活躍。
 定評ある物作りは次第に浸透しつつある。
 日本ではセカンドラインとしてのこのカジュアルブランドが初めてのデビューである。
 さすがに洗練された物作りで他の商品と並べた時に花を感じさせてくれる。
 当店ではまだスタートしたばかりだが店頭での評判はなかなか良いようだ。
今後に大いに期待している。
 
 

2007年10月27日土曜日

雫舞天翔

を頂いた。
 霧島銘水仕込みの焼酎である。
鹿児島は小正醸造株式会社謹製の鹿児島限定品である。
 黄金千貫という品種のさつま芋を原料に霧島山系の天然地下水で仕込み黒麹で醸造したまろやかな焼酎である。
 じつは40年も前の大学時代に発酵学講座の本郷教授の講義で薩摩にメロー小鶴ありという事を聴いて以来、この何年も寝かして熟成された焼酎は目に付けば購入して飲む事にしていたのである。
 その同じ醸造元の焼酎を期せずして頂いた。
 勿論誰にも飲ませず一人で楽しんでいる。
 メロー小鶴より香りが柔らかい。芋焼酎という強烈さは無い。
 庭先で取れたバジルの葉を入れて飲んでいる。
 梅干しの梅を入れたお湯割りとはひと味違う。

 

COME PRIMA コメプリマ

若かりし頃よく聴いたカンツォーネの歌詞である。
先日の親類の結婚式のスピーチに新郎新婦の将来の幸せを念じて冒頭部分のみを引用した。
原文の日本語訳があまり気に入らなかったので自分なりに意訳した。
<Come Prima>
Come prima 初めのように
piu di prima 初めよりもっと
t'amero あなたを愛するだろう
Per la vita 二人の人生の為に
la mia vita 私の人生を
ti daro あなたに捧げる
Sembra un sogno ,rivederti,accarezzarti,
夢のように再会し愛撫し(あなたをじっと見つめ)
le tue mani, fra le mani stringere ancor.
あなたの手を,私の手の中にしっかりと握りしめる
Il mio mondo,tutto il mondo sei per me,
私の世界、世界の全てが私の為にある
a nessuno voglio bene come a te.
あなたのようには他の誰も愛さない
Ogni giorno, ogni istante,dolcemente ti diro
毎日、片時も忘れず、甘くあなたに囁くだろう
Come prima, 初めのように
piu di prima, 初めよりもっと
t'amero! あなたを愛するだろうと

当時はクリフリチャードの甘く優しい歌声が一番人気だった。

Googleグーグル

GOOGLE グーグルは言うまでもなく世界一の検索サイトである。
 検索サイト(調べたい事を探す場所)はいくつもあるがヒット率が最も高いのがグーグルであると言える。
 調べたい事が何であれ、グーグルに検索の為のキーワードをインプットすれば殆どの場合たちどころに答えが表示される。
 それもありとあらゆる専門分野に及ぶのであるから本当に恐れ入ってしまう。
 人の文章を勝手に引用などしようものならたちどころに御用である。
 教えて貰いたい事があればそれを文章のまま入力してみても良い。
 十中八九答えが返ってくる。
 先生代わりになるのである。
 これでは辞書や百科事典さえ要らない。
 最近では少し答えのレベルは低くなるものの携帯電話にもGOOGLEの検索が出来るものが現れた。
こうなってくればもう普通の試験勉強は意味をなさなくなる。
 覚える必要のあるモノはほとんど無いのだ。
 問題解決の方法に長けた智慧のある人間のみが必要とされる時代になってきた。
 単なるモノ知り、生き字引は無用の時代になった、と言う事だ。

自信の無い子供に

自信をつけてやるにはどうすればいいか?
 励ましてやれば少しは元気にはなるかも知れないが自信は決して身に付かない。
 やはり繰り返しさせてみて、簡単な事からさせてみて、アドバイスを与えながらさせてみて、一つ一つやり遂げさせてやる。そして更に難易度を上げていき一歩一歩実現させる事を通じて少しずつ自信をつけてやる。やれば出来ると言う信念の元に決して諦めさせない事が大切である。
 小さな自信の積み重ねはやがて誰にも負けない自信に変わっていく。そして大きな自信と信念に裏付けされた行動が出来るようになる。
 良い指導者に恵まれれば実力と自信を兼ね備えた人間がどんどん育つ。
逆に出來の悪い指導者にであったばかりに素質も台無しにされることも多い。

経験の重み

 何事にも経験が大切なのは誰もが認めるところだけれどもその事の別の意味での重要性について深く考えた事のある人はあまりいないようである。
 技術者というより技能者あるいは職人と呼ばれる専門家達は技術を身に付けるまでに何度も何度も訓練を受ける。
 初歩的な技術の習得の為にまず訓練と呼ばれる試行錯誤を繰り返す。初歩的な技術の習得が済むと次の段階でもまたより高度な技術の習得のために更に難しい訓練に取り組む。こうして次第次第に高度な技術を身に付け同時に自信も身に付いてくる。
 自信が身に付けばだんだん信念も持てるようになってくる。
 そして優れた技術が身に付き、正確な判断能力も備わって来て初めてひらめきの様なモノが生まれてくる。これが感性である。優れた感性というのは正確で優れた経験の積み重ねがあって初めて身に付く。
 素質や単なる偶然だけでは決して身に付くものではない事だけは確かである。
 
 

スピーチ

 先日親類の結婚式でスピーチをする羽目になってしまった。
 最初従兄弟から相談があるというので話を聞くと長男の嫁を貰いに鹿児島まで行くのでついて行って欲しいとの事であった。
 日頃から何かとお世話になっている手前まさか断るわけにはいかないのと、別段こちら側の事を相手方に紹介する役割ぐらい自分にも出来るだろうと思い簡単に引き受けてしまった。
 結局結納を持って行く事になり結納式に立ち会い、翌日はお嫁さんのご両親とも親しく過ごす時間を頂く事になってしまった。
 それから約半年、いよいよ結婚式の日取りも決まり式場の予約も全て完了して新郎新婦の紹介のスピーチをして欲しいと言われ事の次第上お断りできなくなってしまったのである。
 こうなったら大の苦手の人前でのスピーチをやるしかない、が、一体上がらずに無事務めを果たす事が出来るだろうか?中学時代に弁論大会で壇上に上がって初めて大観衆を見た途端頭の中が真っ白になり原稿棒読み同然の大失敗をやらかしてしまった記憶は完全にトラウマになっているのである。それでもやらねばならない。さあ、どうする。案ずるより産むが易しと言うではないか?失敗しないためには最悪頭の中が真っ白になっても何とか切り抜ける手だてさえ用意しておけばよいのだ、と考えたら幾分気が楽になった。それに空で話そうとせず原稿を丁寧に読むようなつもりで臨めば大丈夫だと考えて話しやすく聞き取りやすい原稿に仕上げる事にした。結婚式前日の夜、家内を前にして一度だけやってみて問題点が無いかチェックしたら随分気持ちが落ち着き自信の様なモノも湧いてきた。後は会場の様子が分かればもっと落ち着けるだろうと思い一足先に下見をしておいた。誰もいない宴会場と招待客でいっぱいになった会場ではまるっきり雰囲気が違うのだがスピーチ用の演壇の位置などを予め見ておいたお陰で上がらずに済んだ。