2007年5月4日金曜日

言葉の壁

 母国語と異なる言語で意思の疎通を図ろうとする時、最も困るのは該当する言葉がそもそも存在しない時である。相手の文化にない母国語の言葉の意味を気候風土や生活習慣に始まり色々と回りくどく説明するのは最も骨の折れる仕事になる。
 日本文学のわび、さびの世界、歌舞伎、能、狂言などの日本の伝統芸能特有の言葉、あるいはわさびの辛さ、梅干しのしょっぱさなど日本食だと普通の食べ物の味を表現する言葉などに対応する言葉が外国語に無い場合がそうである。
 それぞれの民族の生活の多様性から生まれるデリケートな表現が固有のそして特有な言葉になる。
 生活や文化のコミュニケーション課程でその環境風土に特有の事物を表現する言葉や概念が生まれる。 
 少し異なるかも知れないが同じ国民同士でもボキャブラリーの格差から意思の伝達不足が生じるのであるから、異なる言語で教養あるいは知的レベルが違いすぎるともうお手上げになるように思う。
 実際そういう経験をした覚えがある人は結構多いのでは無かろうかと思う。

 日本人が江戸時代まで使っていた男女関係の惚れる恋する愛しいと言うような言葉の概念に対して西洋文学翻訳の際に恋愛という言葉が当てられたそうである。これも仕方なく当てはめた言葉であろう事は外国映画の恋愛ものを見れば推察できる。愛という概念は西洋文化特にキリスト教文化圏ではエロスとアガペーの二つに分類されている。一方仏教圏では五つの分類がある。

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